少し前にも自分なりに考えた社会問題との向き合い方についてまとめましたが、実はあれからもまだスッキリしない部分があり、友人に相談してみたり、自分なりに考えたりしていました。
そんな中で《自己犠牲と奉仕はちがう》という考え方に出会ったことで、ついに自分の中の考えがまとまり、今後の明確な方向性が見えてきたので記事にまとめておこうと思います。

自己犠牲と奉仕のちがい
自己犠牲と奉仕についてネットで調べてみると、このような説明が出てきました。
【自己犠牲】何らかの目的や他者のために、自己の時間、労力、身体、生命を捧げること
【奉仕】報酬を求めず、また他の見返りを要求するでもなく、無私の労働を行うこと。
Wikipedia
この説明を読む限りでは、表現の違いはあるものの似た意味合いにも感じます。
そこで自分の中で思い浮かぶ過去の経験などから2つを定義してみました。
【自己犠牲】自己の健康や精神状況をかえりみず、自分自身を削り、ボロボロになりながら尽くすこと
⇨自分のキャパを超えて行う
⇨サスティナブルではない(続かない)
⇨周囲にネガティブな印象を与える
【奉仕】自分の得意やできることを生かして、損得勘定を考えずに行う、尽くすこと
⇨自分のキャパの範囲内で行う
⇨サスティナブル(続けられる)
⇨周囲にポジティブな印象を与える
自己犠牲をすること=苦手なことをすること
わたしの場合の苦手なことは
- プレッシャー
- ネガティブな事実をシェアする
- ストイックに取り組む
- たくさんの人とコミュニケーションをとる
- 刺激が多い etc…
これらの苦手なことが伴う方法で社会問題と向き合うことは、自分自身をすり減らすことになり、常に苦しかったり悩み、もやもやを抱えている状態になるので、結果として続けられない、周りにもネガティブな印象を与えてしまう、ということが実感としてありました。
奉仕すること=得意を生かすこと
わたしの場合の得意なことは
- クリエイティブ
- 文章で伝える
- 学ぶ
- 一人でこつこつ作業する
- ラフに取り組む
- 臨機応変で平和的な考え方 etc…
得意を生かし、自分のキャパシティーをしっかりと見定めた状態で無理なく取り組むことは、周りにもポジティブな影響を与え、結果として続けることができました。
人には得意、不得意がある
人にはそれぞれ持って生まれた性質があり、同じ社会問題一つとっても、怒りを感じそれをパワーにできる人もいれば、悲しみに押しつぶされてしまう人もいます。
だからこそ、まずは自分自身を整えた状態で無理なくサスティナブルに取り組めることが重要。
遠回りに感じても、結局は同じところに辿り着くんだと思います。
社会問題との向き合い方についてずっと悩んでいたけれど、この考え方は仕事にしても、人間関係にしても、何にしてもそうなのかなぁと感じました。
しばらく悩みましたが、これからは得意を生かし、自分のキャパシティー内で、小さな奉仕を無理なく続けていこうと思います。
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